【Column】:TRPGよもやま話 21-30
このページはTRPGに関する事を色々考え、
もっとTRPGを楽しむ為の方法を考える、
ごった煮考察ページ
です。
コラム・目次
21.NPCとの交渉
22.戦士のタイプ
23.死
24.リスクとリターン
25.「交渉技能」の存在
26.TRPGにおける「神」の存在
27.「神官」が冒険に出る理由
28.ダイスが使われる理由
29.「生きた」キャラクターを演じる
30.中世の「旅」
21.NPCとの交渉
TRPGは
コミュニケーション
のゲームでもあります。
従って、TRPGをやっている時は、常に
意見の対立
とその
超克
を行っているとも言えます。
こう書くと難しく思えるかも知れませんが、簡単に言うと、
「TRPGではいつも意見の対立があり、それをなんとかしながら話が進んでいる」
という事です。
例えば、
依頼者NPCとPCの盗賊の報酬交渉
。NPCはなるべく安くPCを雇いたいでしょうが、PC達は1ゴールドでも多く収入が欲しいはずです。
こういう時に、「意見の対立」は起こります。
そして、困った事に、
「交渉」=「自分の意見を通す事」
と考えているようなプレイヤーが、実に多いのです。
これは、特に交渉相手がNPCである時によく起きる状況です。
しかし、本来的に「交渉」というのは、「お互いが得をする」というポイントに根ざして行われる物なのです。
ですから、「交渉」を行う場合、相手がPCであろうと、NPCであろうと、「お互いが得をする」(もしくはお互いが「損」を回避する)という形での交渉を考えるべきなのです。
例に挙げた「報酬交渉」等では、NPCは「金を払って雇う」というプラスを持ちかけていますから、PCは「働く」というプラスをNPCに持ちかける事が交渉の基本になります。
PC達が提示された金額以上を欲するのであれば、NPCに対して「働く」以上のプラスを持ちかけなければなりません。
例えば、「仕事が終わっても、仕事の情報は一切リークしない」という条件であったり、「もう少し金額を上げてくれれば、情報集めに盗賊ギルドを使う事ができる」という条件を持ちかけたりしなければならないのです。
そして、最も注意しなければならないのが、お互いに
条件を譲歩し合う
という点です。
これは、現実にも即しますが、
片方だけが得をする交渉
というのは基本的には成り立たない物ですし、成り立ったとしても、その印象は最悪になります。恐らく、その交渉相手は
二度とPC達を相手にしてくれない
だろうと言う事になってしまうのです。
以前のコラムに書いたように、
冒険者は基本的にアウトロー
ですから、
信用が第一
なんですね。信用のないアウトローはただの
鼻つまみ者
か
無法者
に過ぎませんから、交渉は慎重かつ巧妙にできないと、冒険者としてはやっていけないのです。
さて、貴方のPC達は、冒険者ですか?それとも、ただの鼻つまみ者なのでしょうか...?
如月翔也
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22.戦士のタイプ
ファンタジーTRPGで
戦士
と呼ばれるクラスは、
戦闘のプロ
です。
彼らは
戦闘に勝利する
為に、様々な技術を磨き、そして武器や防具を選択します。
ここでは、リアリティのある
武器・防具
の選び方と、それによって分類される
戦士のタイプ
について考えてみましょう。
戦闘
で勝利するには、2つの条件があります。
一つ目は、
相手を倒す事
。
二つ目は、
自分が倒されない事
です。
この2つの条件を揃える為、戦士は武器と防具の選択に頭を悩ませる事になります。
攻撃面
では
破壊力
と
命中率
のどちらを選ぶか。
防御面
では
防御力
と
回避率
のどちらを選ぶか、という選択を行う訳です。
そして、その選択によって、戦士は次のようなタイプに分類されます。
攻撃面
防御面
タイプ
モットー
ポイント
破壊力
防御力
重騎士、重戦士
動く城塞
1発当てるまで生き延びろ!
破壊力
回避率
突撃兵、蛮族
一撃必殺
とにかく先に1発当てろ!
命中率
防御力
騎士、戦士
堅実な攻防
潰し合いに持ち込め!
命中率
回避率
軽戦士、剣士
一撃離脱
地道に避けまくれ!
重騎士タイプの者は、モールやフレイルなどの「鎧の通用しない」武器と、金属製の板金鎧を着て、防御を固めつつ
相手を一撃で叩き伏せる
事を目指します。しかし、重い武器と鎧の為に動きは遅く、攻撃の回数や命中率で他に劣るでしょう。
突撃兵タイプの者は、斧や両手剣などの「凶悪な」武器と、動きを妨げない軽い鎧を着て、素早い攻撃によって
相手を一撃で葬る
事を目指します。しかし、命中率は低く、反面一撃をもらうと自分が先に死んでしまう可能性が高く、手数が勝負を分けるという実にリスキーな闘い方をする羽目になるでしょう。
騎士、戦士タイプの者は、片手剣や槍などの「普通の」武器と、金属製の板金鎧を着て、
着実に相手にダメージを与えつつ、自分はダメージを最小限で押さえる
ような闘い方になります。しかし、強力な攻撃や、素早い連続攻撃に対応しきれない場合も多々あるでしょう。
軽戦士タイプの者は、槍や短剣などの「扱いやすい」武器と、動きを妨げない鎧を着て、常に動き回って相手を翻弄し
着実な一撃離脱
を重ねる闘い方になります。しかし、相手を消耗させる前にラッキーヒット一撃で死んでしまう事もあり、覚悟を決めた堅実さが要求されます。
このように、武器の選択、防具の選択1つで戦士のタイプや闘い方、覚悟の決め方が異なるのです。
そして、それを意識した上で戦士をプレイするのが
リアリティのある
戦士であると言えるでしょう。
さて、貴方の戦士は、本当に
リアリティ
のある、生きた戦士なのでしょうか...?
如月翔也
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23.死
TRPGだけに関わらず、世界は「生」と、同じだけの数の「死」に囲まれています。
理想の幻想世界
に住む、キャラクター達であっても、その
死
という名の運命からは決して逃れる事はできません。
TRPGの変遷に従い、キャラクターの
死
も様々な形に変遷しています。
キャラクターの
死
は、「プレイヤーの損失」から「世界の構成要素の消失」を経て、
「1人の人間の終わり」
へと移り変わっていったのです。
ここで面白い話があります。
「ストーリー重視」のTRPGをプレイしている最中、シナリオの最終場面での事です。
シナリオの最終場面、最後の敵は強力でした。
パーティが協力し、苦心して最後の敵を傷つけ、追いつめはした物の、その時パーティの面々も満身創痍で、下手をすれば全滅もあり得ました。
そして、1人のプレイヤーが決断を下しました。
「ストーリー重視」TRPGには、最後の手段として「これをすると死んでしまうが、超強力な必殺技」という攻撃オプションがあったのです。
そのキャラクターは、我が身をかえりみずにその最終手段をつかい、見事に最後の敵を討ち取ったのです...そして、そのキャラクターは死にました。
実に、美しい展開です。TRPGで求められる「王道」とも言えるかも知れません。
しかし、一つだけ問題がありました。
そのキャラクターには「さらわれた妹を見つけだす」という大きな目標があり、そのシナリオでは「妹」は出てこなかったのです。
つまり、そのキャラクターは「妹を見つけだす」という大きな目標を捨ててまで、「最後の敵」を倒す事を選んだのです。
そして、プレイヤーの意志決定の際、プレイヤーは「ここが見せ場だな」という、実にTRPGプレイヤーらしい(らしからぬ?)台詞を口にしたのです。
さて、その
英雄
とでも言うべきPCは、自らが望んで
死んだ
のでしょうか?
それとも、プレイヤーのエゴによって
望まない死
を押しつけられたのでしょうか?
私には、
望まない死
を押しつけられたとしか思えないのです。
もちろん、現実の人間がそうであるように、PCも
望まない死
を与えられる事の方が多いでしょう。
しかし、プレイヤーにはキャラクターを(あらゆる意味で)
生きさせる
義務があるのではないでしょうか?
キャラクターが真に
生きる
為の
死
であれば、むしろ積極的に死ぬべきかも知れません。
しかし、
死
を選ぶ前に、考えて欲しいのです。
そのキャラクターが、何故
死
を選ぶのかを。
美しいストーリー
の為ではなく、ましてや
プレイヤーの自己満足
でもなく、キャラクター自体が納得した上で、
死ぬ事を選ぶ
のか。
それこそが、求められるべき
死のリアリティ
なのではないかと思うのです。
冒険者とは、頼るべき物のないアウトローです。
そのアウトローの持つ、唯一にして最強の物が
自身の命
なのです。
その
命
とその
死
について、貴方ではなくキャラクターが考えて決断する。それこそが、
アウトローの誇り
なのではないでしょうか。
如月翔也
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24.リスクとリターン
今度はちょっと近代的な考え方をしてみましょう。
では、問題です。
冒険者をする場合、もっとも注意しなければならない事は何でしょうか?
答えは、(意外かも知れませんが)
リスクの管理
です。
冒険者
といえば、よく言えば
自由人
、悪く言えば
ゴロツキ
みたいなものです。それなのに、「リスクの管理」とは、いかにも商売人っぽい考え方ですよね。
しかし、逆に、
自由人
(あるいはゴロツキ)だからこそ、
リスクの管理
には慎重でなくてはいけないのです。
ただし、さすがに
自由人
(あるいはゴロツキ)だけあって、
リスク
に対する
リターン
の感覚は常識とはずれているのですが。
通常、高いリスク(危険度)を持つ物事に挑戦する場合、リスクに見合うだけのリターン(見返り)が無ければ挑戦しようとしません。
この場合、リスクは金銭的な物が大半ですし、リターンも同じく金銭的な物が基本です。
しかし、
冒険者
の場合は違います。
リスク(危険)とは、実際に命の危険を指す物が大半でしょう。
リターンは大半の場合は金銭的な物ですが、冒険者は
金銭以上に価値のある「なにか」
を持っている場合が多く、あるいは
自分の主義を守り抜く事
や
誰かに感謝される事
などを
高いリターン
であると認識している場合も多く見かけられます。
つまり、
冒険者
は
自分の命
をチップに
自分の信じるなにか
を求めて賭けに出る
ロマンチスト
という見方もできる訳ですね。
しかし、それでも「リスク」の管理は怠れません。
なにせ、彼らの求める物は
生きていてこそ得る意味のある物
ですし、下手に怪我などをすると
待っているのは餓え死に
という、綱渡りの商売なのですから。
だからこそ、
冒険者
はリスクに敏感であるべきなのです。
金銭を代償に危険を犯すのであれば、それに見合うだけの金銭が対象でなくてはいけません。
また、
生き残る
為に、自分の対処できるレベルの危険にだけしか立ち向かわず、手に負えないと判断した事からは早々に撤退するべきなのです。
そして、その上で、
自分の命を賭けても良い
だけの価値のある事に対しては、
命の危険
など笑い飛ばすだけの剛胆さを発揮するのが
冒険者
なのです。
それができるからこその、
英雄候補
なのです。
無謀なだけの若者
や、
自分の命を賭ける事のできない臆病者
は、英雄になる事は
決してできません
。
冷徹な頭脳と、熱い魂。この2つを合わせ持つ者だけが、真の
冒険者
なのです。
さて、貴方のキャラクターは、エセ冒険者ではありませんか...?
如月翔也
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25.「交渉技能」の存在
今度は、ゲームシステムとロールプレイについて考えてみましょう。
ゲームシステムによっては、キャラクターに
交渉
という
能力
や
技能
が用意されている事があります。
しかし、この
能力
(あるいは技能)、ロールプレイ重視でTRPGをしている時は、結構邪魔な物である事が多いんですね。
例えば、人質(女の子)を取って立てこもった犯人に対して、「自分が人質になる代わりに人質を解放して欲しい」という説得を行う場合を想定してみましょう。
騎士
のキャラクターが前に出て、こう言ったとします。
「君、か弱い女の子を人質に取るとは、恥ずかしいと思わないのかね。
それよりも、私が人質になろう。こう見えても私は騎士の出身、身代金は私の方が多く取れるだろう。
当然、私は武器も持たないし、この鎧も脱ごう。だから、その人質と私を交換したまえ」
マスターもプレイヤーも、この台詞は非常に良い物だと考え、マスターは
騎士
の
交渉
技能に非常に高いボーナスを与え、ルールに則って判定をさせました。
ところが、
騎士
のプレイヤーはダイス目が悪く、なんと判定に失敗してしまいます。
ルールに則ると、この説得は失敗でしたが、プレイヤー達は収まりがつかず、マスターを糾弾します。マスターも、この交渉は
明らかに成功する
はずだと考え、ルールを無視する決心をし、騎士の行った交渉は成功、と判断しました。
どうでしょう、いかにもありそうな状況だと思いませんか?
一般的
には、
ゲームを面白く、エキサイティングにするには多少のルールの無視/変更は許される
という意見が有力ですから、このマスターの判断は誤っていません。
しかし、
キャラクター
を表すルールであるはずの
第3世代TRPG
に、何故、このような
ロールプレイによっては無意味になる
判定があるのでしょうか?
逆に、ルールに従った上で、納得できるルールの使用法、というのは無いのでしょうか?
そこで、こう考えてはどうでしょうか。
騎士
は、確かにプレイヤーが言った事と同じ事を頭の中で考え、いざ言おうとしました。
しかし(判定失敗)、緊張のあまり騎士の声は裏返り、犯人に警戒感を抱かせてしまったのです。
あるいは、その台詞を言おうと一歩を踏み出した瞬間、それが犯人を刺激してしまい、犯人に聞く耳を持たなくさせてしまったのです。
もしくは、最初の「恥ずかしくないのかね」という台詞を、彼が
騎士
であるが故に侮蔑的に言ってしまい、犯人を逆上させてしまったのです。
どうでしょう、こう考えれば、
交渉の失敗
もうなづけるのではないでしょうか?
今やTRPGのルールは
キャラクターを表現する物
へと変化しました。そのなかで
交渉
という要素がある以上、その要素も
キャラクター
を表現する物のはずです。
プレイヤーが素晴らしい台詞を考えたとしても、それを上手く活用できないのが
交渉能力
の低いキャラクターなのではないでしょうか?
それを考えると、「
交渉能力
に力を割り振らないキャラクター」という物はおいそれと作れなくなってしまいますね。
しかし、
交渉能力
とは、こう考えてみるのが妥当なのかも知れません...
如月翔也
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26.TRPGにおける「神」の存在
昨今のファンタジーTRPGでは、
背景となる世界
の要素の一つとして、
神
の存在が規定されている物が大半です。
そして、その
神
の設定の多くは
唯一神
ではなく、
多神教
であるとされている事が多いようです。
ですが、ここで
現代人
である我々には
ちょっとおかしいな?
と思うような背景設定があります。
それは、
多くの神
があり、それぞれに
多くの信徒
を持っている割には、
宗教同士の深刻な対立
という要素が欠けている、という部分です。
現実世界の歴史を振り返ると、
宗教が違う
という事はすなわち
相手は邪教徒である
という事であり、
宗教
という
全人類の幸福
を求める者(宗教者・信徒)同士が血で血を洗う
深刻な対立状態
を長く続けてきた、という事は悲しくも歴然とした事実なのです。
では、何故、ファンタジーTRPGでは
信仰する神
同士で
深刻な対立
が起きないのでしょうか?
私が思うに、それは
神
は
絶対神
ではなく、
人格神
である、という理由からではないか、と思います。
TRPGにおける
神
の扱いのほとんどは、中世ヨーロッパ大陸で一般的であった
絶対神
(全知全能の神)とは異なり、むしろ古代ギリシア・ローマの神話である
人格神
(人間に近い感情を持った「強力な」「人間以上の」存在)である為ではないか、と思うのです。
なにせ、
絶対神
の存在する世界は
基本的に完璧
な物であり、
神
の関与しない超常現象は(裏の存在である
悪魔
の存在なしには)存在し得ないのです。
そして、全ては
神
の望んだ事ですから、
神
は余程の事がない限りは現世に奇蹟を起こす事はありません(というよりも、もとから
奇蹟
が必要になるような状況を「起こさない」事ができる存在なのです)。
これは、
魔法
や
怪物
の実在するファンタジー世界には
決して相容れない
考え方なんですね。
しかし、
神
が
人格神
である場合はこれと異なります。
神
といえども
どうにもならない
事は存在しますし、
間違い
も起こします。
1人の神が絶対
ではありませんから、
神
は競って奇蹟を起こし、自分の存在をアピールするのです。
こちらの考え方だと、
実にTRPGに向いている
設定なんですね。
絶対神の神官
とは「生き方」の問題になるのに対して、
人格神の神官
はあくまで「神の奇蹟を起こせる(神に奇蹟を起こして貰える)」という存在なのですから。
それを肯定するかのように、多くのTRPGでは
一つの神話によって誕生した多神教
(これは、
人格神
的な
多神教
の典型例です)という形で
神
の存在が定義されています。
そういった事を考えると、TRPGでは
多くの神が並び立っている
にも関わらず、
深刻な対立
が起きない、というのもうなづけるかも知れませんね。
如月翔也
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27.「神官」が冒険に出る理由
さて、今度は
神
の
信徒
であり、あるいは
代理人
でもある
「神官」
について考えてみましょう。
神官
とは、言うまでもなく
聖職者階級
に属する人間です。
特に
神
の影響力が強く、人々も
敬虔
である中世の世界では、
非常に強い力を持った
人々です。
彼らは
信徒からの寄付
だけで充分に生きて行けますし、
祭り事
を取り仕切る事で人々に必要とされる存在なのです。
しかし、ファンタジーTRPGの冒険者パーティを見ると、そのほとんどには
神官
がいます。
生きて行けるだけの糧があり、人々にも必要とされる
聖職者
が、何故、
冒険
などという
危険な事
に首を突っ込むのでしょうか?
聖職者
ともあろう者が、
金銭
や
危険
に魅力を感じて、
冒険
などという
愚挙
に出ているのでしょうか?
そうとは考えづらいですね。
中には
金銭
や
危険
に取り憑かれている
破戒僧
とでも言うべき
神官
も存在するでしょうが、ほとんどの
神官
は、
個人的な信仰心
によって、
冒険
という
修行
を行っているのでしょう。
多神教
の世界では、
神
は
多数
存在しますから、基本的には
信者の取り合い
が起きます。
そう、
熱心な神官
は、
自分の信じる神
の為、
違う神を信じる人
の為に、
自分の信じる神こそが最も信仰に値する
という事を説いて回る事を望むのです。
しかし、規則と時間に縛られてしまう神殿付きの神官はそういう訳にも行きません。
また、
神の力が実在する
世界であり、しかしながら
神の力を引き出す事には限りがある
世界ですから、無限に神の力を与える訳にも行かず、結果として
なんらかと引き替えに奇跡を起こす
事が当然という状態になっています。
ですから、
神官個人
が
無償で奇蹟を与えたい
と思っていても、それは神殿では許されない事なのです。
この2つの理由が、主に
神官
を
冒険
に駆り立てるのでしょう。
冒険
中の
神官
は、
修行中
という扱いであり、神殿には縛られませんから、
個人的な布教活動
は自由に行えますし、
無償で奇蹟を起こす事
も許されるのです。
そして、
冒険
によって
神官
自体も鍛えられ、より
神
との結びつきが深まるチャンスが多いのです。
あるいは、
冒険
で得た
収入
を
貧しい者に分け与える
事も自由に出来ますし、
収入
を蓄える事で、いつか
へんぴな地方
に神殿を建てる事ができるかも知れないのです。
これは、あらゆる
聖職者
にとって魅力的な考えだと言えるでしょう。
こうして、
神官
は
冒険
に出る事を決めるのではないでしょうか。
信仰心
以外を捨てた
神官
であっても、いえ、むしろそうであるからこそ、
神官
にとって
冒険
という物は魅力的なのかも知れませんね。
如月翔也
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28.ダイスが使われる理由
ちょっと文学的な(?)話題が続きましたので、今度は数学的な話題をしてみましょう。
TRPGで使う物品としては筆記用具と紙に続いて有名な物、と言えば、それは
ダイス
以外にないでしょう。
ダイス
は
ランダマイザー
(乱数発生器:
乱数
とは無作為に決めた数字の事です)として一般的に用いられますが、これには理由があるのです。
無作為に数字を決める方法としては、
ダイスを振る
他に、
カードをシャッフルして好きな場所から引く
という方法等があります。
では、何故、簡単に手に入る
トランプ
を使わずに、購入するのに手間がかかる
ダイス
を使うのでしょうか?
それは、
使いやすさ
と
確率の分布
の為なのです。
例えば、1から8の数字が欲しい時、
ダイス
であれば8面体ダイスを使えば事足ります。
しかし、カードの場合は1から8のカードだけを抜き出して、シャッフルして、引かなければならないのです。
これは、何度も使うのであれば
大変面倒臭い
ですよね。
しかも、カードは毎回引いたカードを戻してシャッフルしなおさなければならないのです。
そうしないで「引いたカード」はそのままにすると、次に
カードを引く時の確率に偏りが出てしまう
ので、
無作為
に決めた数字ではなくなってしまい、ちょっと困った事になります。
(最後の1枚のカードは、何がでるのかわかってしまいますよね?)
実際にゲームをするのであれば、毎回カードを戻してシャッフルしなおす、という方法を取っていると、
ゲームにならない
と言った事態に陥ってしまうので、カードを使う、という方法は忌避されるのが一般的なんですね。
そういった理由で、TRPGでは
ダイス
を使うのが一般的なのです。
こう言った事を知っていると、TRPGでダイスを振る時の気分がちょっと変わって、新鮮な気持ちになれるのではないでしょうか...?
如月翔也
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29.「生きた」キャラクターを演じる
さて、問題です。
TRPGの
世代(ジェネレーション)
を問わず、TRPGで求められている物とは、なんでしょう?
答えは、
「生きた」キャラクター
を演じる、という事です。
シミュレーションゲームの発展としてのTRPG、世界を表現する為のツールとしてのTRPG、あるいは1人のキャラクターを表現する手段としてのTRPGという、3つの世代のTRPGの中でも、
キャラクター
というインターフェイス、あるいはプレイヤーの分身という存在は
必ず存在する要素
です。
この、
必ず存在する要素
という物が、重要でないはずがありませんよね。
そして、ゲームの駒としても、インターフェイスとしても、あるいは分身としても、TRPGを魅力的にしているのは
「生きた」キャラクター
なのです。
キャラクター
は、TRPGが表現している
幻想世界
(あるいは
仮想現実
)の中で、一つの命と一つの人格を持った存在として、
「生きて」
います。
この
「生きた」キャラクター
を表現する、あるいは実現すると言う事は、TRPGにおいて
絶対に必要な事
として求められる事なのです。
これは、考えてみれば当然の事かも知れません。
TRPGとは、
幻想世界
(あるいは
仮想現実
)に根ざして遊ぶゲームです。
つまり、大前提として、提供される
幻想世界
がリアルでないと、プレイヤー/マスターの想像力をリアルにかき立てる事ができないのです。
そして、リアルな人間の生きていない世界など、リアルであるはずがないのです。
もちろん、
「生きた」キャラクター
さえ存在できれば面白いTRPGかといえば、答えは
「否」
なのですが、
「生きた」キャラクター
の存在しないTRPGは
面白くない
か、
TRPGではない
かのどちらになってしまいます。
そう、
キャラクター
は幻想世界で
事実として
生きているのですから、我々
現実世界
で生きているのと同じだけの
存在のリアルさ
を持っているべきなのです。
貴方の使うキャラクターは、その世界に
リアル
に存在していますか...?
貴方の
いない
時にでもちゃんと生きて行けますか?
貴方がいなくても生きて行けるキャラクター
、そんなキャラクターとの付き合いは、とても楽しい物ですよ。
如月翔也
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30.中世の「旅」
現代は「情報社会」であると共に、「交通社会」でもあります。
人々はちょっとした暇を見つけては小旅行をしたり、連休を利用して大がかりな旅行をしたり、あるいは車を使って「ちょっと遠出」などという、
「旅」
を楽しみます。
現在では
「旅」(あるいは旅行)
という物は
趣味
の一つであったり、あるいは
心と体のリフレッシュ
手段の一つであったりします。
しかし、現在と中世では事情も異なります。
今回は、中世における
「旅」
について、ちょっとした知識などをあげてみようかと思います。
コラム18でも取り上げたように、中世の人々というのは、成人人口のおよそ9割までが第1次・第2次
生産者
でした。
そして、
生産者
というのは
地域に密着した存在
であり、農作物などを作る事は1年がかりの仕事ですから、自分の住む地方を離れる事など、考える事もできないのです。
ですから、ほとんどの人々は
「旅」
という物をしませんでしたし、それをする者というのは
商人
の様な
交易関係の人間
か、あるいは
巡礼者
の様な
余程の理由のある者
だけでした。
しかも、地方をつなぐ街道はほとんど整備などされていませんでしたし、
街
や
村
を離れると、そこは
無法地帯
・
危険地帯
に他なりませんでした。
そう、現代と違って、中世での
「旅」
と言う物は、言葉通りに
命懸け
の物だったのです。
逆に、
「旅」
という物が一般的ではなく、危険だからこそ
「旅」
をする者もいました。
それは、
交易商人
です。
彼らは情報や物品の交流が少ないという事に注目し、「数の少ない物は高く売れる、数の多い者は安く買える」という原則を利用して、「ある地方で安く買った物を違う地方で高く売る」という、実に商魂逞しい人々でした。
しかし、
「旅」
をするという事は
様々な危険と遭遇する
という可能性の高い物であり、どちらかというと
ギャンブラー
、あるいは
山師
のような存在だったという事です。
中世では、
「旅」
という物の感覚が、現在とはかなり異なったという事がよくわかりますね。
この感覚は、幻想世界に住むPC達も変わらないのではないでしょうか。
未熟な冒険者のパーティがはじめての旅を目前にして必要以上に緊張したり、あるいははじめて見る異国の風景に心を奪われる、というシーンなどはとてもリアリティがありますし、そんなちょっとした違いをロールプレイするのも面白いかも知れませんね。
如月翔也
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