Back To Index Column Top Back To Contents
Column 11-20 Bad Trip Column 31-40
【Column】:TRPGよもやま話 21-30
 このページはTRPGに関する事を色々考え、
 もっとTRPGを楽しむ為の方法を考える、
ごった煮考察ページです。

コラム・目次
21.NPCとの交渉
22.戦士のタイプ
23.死
24.リスクとリターン
25.「交渉技能」の存在
26.TRPGにおける「神」の存在
27.「神官」が冒険に出る理由
28.ダイスが使われる理由
29.「生きた」キャラクターを演じる
30.中世の「旅」

21.NPCとの交渉

 TRPGはコミュニケーションのゲームでもあります。
 従って、TRPGをやっている時は、常に意見の対立とその超克を行っているとも言えます。

 こう書くと難しく思えるかも知れませんが、簡単に言うと、「TRPGではいつも意見の対立があり、それをなんとかしながら話が進んでいる」という事です。

 例えば、依頼者NPCとPCの盗賊の報酬交渉。NPCはなるべく安くPCを雇いたいでしょうが、PC達は1ゴールドでも多く収入が欲しいはずです。

 こういう時に、「意見の対立」は起こります。
 そして、困った事に、「交渉」=「自分の意見を通す事」と考えているようなプレイヤーが、実に多いのです。
 これは、特に交渉相手がNPCである時によく起きる状況です。

 しかし、本来的に「交渉」というのは、「お互いが得をする」というポイントに根ざして行われる物なのです。
 ですから、「交渉」を行う場合、相手がPCであろうと、NPCであろうと、「お互いが得をする」(もしくはお互いが「損」を回避する)という形での交渉を考えるべきなのです。

 例に挙げた「報酬交渉」等では、NPCは「金を払って雇う」というプラスを持ちかけていますから、PCは「働く」というプラスをNPCに持ちかける事が交渉の基本になります。
 PC達が提示された金額以上を欲するのであれば、NPCに対して「働く」以上のプラスを持ちかけなければなりません。
 例えば、「仕事が終わっても、仕事の情報は一切リークしない」という条件であったり、「もう少し金額を上げてくれれば、情報集めに盗賊ギルドを使う事ができる」という条件を持ちかけたりしなければならないのです。

 そして、最も注意しなければならないのが、お互いに条件を譲歩し合うという点です。
 これは、現実にも即しますが、片方だけが得をする交渉 というのは基本的には成り立たない物ですし、成り立ったとしても、その印象は最悪になります。恐らく、その交渉相手は二度とPC達を相手にしてくれないだろうと言う事になってしまうのです。

 以前のコラムに書いたように、冒険者は基本的にアウトローですから、信用が第一なんですね。信用のないアウトローはただの鼻つまみ者無法者に過ぎませんから、交渉は慎重かつ巧妙にできないと、冒険者としてはやっていけないのです。

 さて、貴方のPC達は、冒険者ですか?それとも、ただの鼻つまみ者なのでしょうか...?

如月翔也

目次へ戻る

22.戦士のタイプ

 ファンタジーTRPGで戦士と呼ばれるクラスは、戦闘のプロです。
 彼らは戦闘に勝利する為に、様々な技術を磨き、そして武器や防具を選択します。

 ここでは、リアリティのある武器・防具の選び方と、それによって分類される戦士のタイプについて考えてみましょう。

 戦闘で勝利するには、2つの条件があります。
 一つ目は、相手を倒す事
 二つ目は、自分が倒されない事です。

 この2つの条件を揃える為、戦士は武器と防具の選択に頭を悩ませる事になります。

 攻撃面では破壊力命中率のどちらを選ぶか。
 防御面では防御力回避率のどちらを選ぶか、という選択を行う訳です。

 そして、その選択によって、戦士は次のようなタイプに分類されます。

攻撃面防御面タイプモットーポイント
破壊力防御力重騎士、重戦士動く城塞1発当てるまで生き延びろ!
破壊力回避率突撃兵、蛮族一撃必殺とにかく先に1発当てろ!
命中率防御力騎士、戦士堅実な攻防潰し合いに持ち込め!
命中率回避率軽戦士、剣士一撃離脱地道に避けまくれ!

 重騎士タイプの者は、モールやフレイルなどの「鎧の通用しない」武器と、金属製の板金鎧を着て、防御を固めつつ相手を一撃で叩き伏せる事を目指します。しかし、重い武器と鎧の為に動きは遅く、攻撃の回数や命中率で他に劣るでしょう。

 突撃兵タイプの者は、斧や両手剣などの「凶悪な」武器と、動きを妨げない軽い鎧を着て、素早い攻撃によって相手を一撃で葬る事を目指します。しかし、命中率は低く、反面一撃をもらうと自分が先に死んでしまう可能性が高く、手数が勝負を分けるという実にリスキーな闘い方をする羽目になるでしょう。

 騎士、戦士タイプの者は、片手剣や槍などの「普通の」武器と、金属製の板金鎧を着て、着実に相手にダメージを与えつつ、自分はダメージを最小限で押さえるような闘い方になります。しかし、強力な攻撃や、素早い連続攻撃に対応しきれない場合も多々あるでしょう。

 軽戦士タイプの者は、槍や短剣などの「扱いやすい」武器と、動きを妨げない鎧を着て、常に動き回って相手を翻弄し着実な一撃離脱を重ねる闘い方になります。しかし、相手を消耗させる前にラッキーヒット一撃で死んでしまう事もあり、覚悟を決めた堅実さが要求されます。

 このように、武器の選択、防具の選択1つで戦士のタイプや闘い方、覚悟の決め方が異なるのです。
 そして、それを意識した上で戦士をプレイするのがリアリティのある戦士であると言えるでしょう。

 さて、貴方の戦士は、本当にリアリティのある、生きた戦士なのでしょうか...?

如月翔也

目次へ戻る

23.死

 TRPGだけに関わらず、世界は「生」と、同じだけの数の「死」に囲まれています。
 理想の幻想世界に住む、キャラクター達であっても、そのという名の運命からは決して逃れる事はできません。

 TRPGの変遷に従い、キャラクターのも様々な形に変遷しています。
 キャラクターのは、「プレイヤーの損失」から「世界の構成要素の消失」を経て、「1人の人間の終わり」へと移り変わっていったのです。

 ここで面白い話があります。
 「ストーリー重視」のTRPGをプレイしている最中、シナリオの最終場面での事です。
 シナリオの最終場面、最後の敵は強力でした。
 パーティが協力し、苦心して最後の敵を傷つけ、追いつめはした物の、その時パーティの面々も満身創痍で、下手をすれば全滅もあり得ました。
 そして、1人のプレイヤーが決断を下しました。
 「ストーリー重視」TRPGには、最後の手段として「これをすると死んでしまうが、超強力な必殺技」という攻撃オプションがあったのです。
 そのキャラクターは、我が身をかえりみずにその最終手段をつかい、見事に最後の敵を討ち取ったのです...そして、そのキャラクターは死にました。

 実に、美しい展開です。TRPGで求められる「王道」とも言えるかも知れません。
 しかし、一つだけ問題がありました。
 そのキャラクターには「さらわれた妹を見つけだす」という大きな目標があり、そのシナリオでは「妹」は出てこなかったのです。
 つまり、そのキャラクターは「妹を見つけだす」という大きな目標を捨ててまで、「最後の敵」を倒す事を選んだのです。
 そして、プレイヤーの意志決定の際、プレイヤーは「ここが見せ場だな」という、実にTRPGプレイヤーらしい(らしからぬ?)台詞を口にしたのです。

 さて、その英雄とでも言うべきPCは、自らが望んで死んだのでしょうか?
 それとも、プレイヤーのエゴによって望まない死を押しつけられたのでしょうか?

 私には、望まない死を押しつけられたとしか思えないのです。
 もちろん、現実の人間がそうであるように、PCも望まない死を与えられる事の方が多いでしょう。
 しかし、プレイヤーにはキャラクターを(あらゆる意味で)生きさせる義務があるのではないでしょうか?

 キャラクターが真に生きる為のであれば、むしろ積極的に死ぬべきかも知れません。

 しかし、を選ぶ前に、考えて欲しいのです。
 そのキャラクターが、何故を選ぶのかを。

 美しいストーリーの為ではなく、ましてやプレイヤーの自己満足でもなく、キャラクター自体が納得した上で、死ぬ事を選ぶのか。
 それこそが、求められるべき死のリアリティなのではないかと思うのです。

 冒険者とは、頼るべき物のないアウトローです。
 そのアウトローの持つ、唯一にして最強の物が自身の命 なのです。
 そのとそのについて、貴方ではなくキャラクターが考えて決断する。それこそが、アウトローの誇りなのではないでしょうか。

如月翔也

目次へ戻る

24.リスクとリターン

 今度はちょっと近代的な考え方をしてみましょう。

 では、問題です。
 冒険者をする場合、もっとも注意しなければならない事は何でしょうか?

 答えは、(意外かも知れませんが)リスクの管理です。

 冒険者といえば、よく言えば自由人、悪く言えばゴロツキみたいなものです。それなのに、「リスクの管理」とは、いかにも商売人っぽい考え方ですよね。

 しかし、逆に、自由人(あるいはゴロツキ)だからこそ、リスクの管理には慎重でなくてはいけないのです。
 ただし、さすがに自由人(あるいはゴロツキ)だけあって、リスクに対するリターンの感覚は常識とはずれているのですが。

 通常、高いリスク(危険度)を持つ物事に挑戦する場合、リスクに見合うだけのリターン(見返り)が無ければ挑戦しようとしません。
 この場合、リスクは金銭的な物が大半ですし、リターンも同じく金銭的な物が基本です。

 しかし、冒険者の場合は違います。
 リスク(危険)とは、実際に命の危険を指す物が大半でしょう。
 リターンは大半の場合は金銭的な物ですが、冒険者は金銭以上に価値のある「なにか」を持っている場合が多く、あるいは自分の主義を守り抜く事誰かに感謝される事などを高いリターンであると認識している場合も多く見かけられます。

 つまり、冒険者自分の命をチップに自分の信じるなにかを求めて賭けに出るロマンチストという見方もできる訳ですね。

 しかし、それでも「リスク」の管理は怠れません。
 なにせ、彼らの求める物は生きていてこそ得る意味のある物ですし、下手に怪我などをすると待っているのは餓え死にという、綱渡りの商売なのですから。

 だからこそ、冒険者はリスクに敏感であるべきなのです。
 金銭を代償に危険を犯すのであれば、それに見合うだけの金銭が対象でなくてはいけません。
 また、生き残る為に、自分の対処できるレベルの危険にだけしか立ち向かわず、手に負えないと判断した事からは早々に撤退するべきなのです。

 そして、その上で、自分の命を賭けても良いだけの価値のある事に対しては、命の危険など笑い飛ばすだけの剛胆さを発揮するのが冒険者なのです。
 それができるからこその、英雄候補なのです。
 無謀なだけの若者や、自分の命を賭ける事のできない臆病者は、英雄になる事は決してできません

 冷徹な頭脳と、熱い魂。この2つを合わせ持つ者だけが、真の冒険者なのです。
 さて、貴方のキャラクターは、エセ冒険者ではありませんか...?

如月翔也

目次へ戻る

25.「交渉技能」の存在

 今度は、ゲームシステムとロールプレイについて考えてみましょう。

 ゲームシステムによっては、キャラクターに交渉という能力技能が用意されている事があります。
 しかし、この能力(あるいは技能)、ロールプレイ重視でTRPGをしている時は、結構邪魔な物である事が多いんですね。


 例えば、人質(女の子)を取って立てこもった犯人に対して、「自分が人質になる代わりに人質を解放して欲しい」という説得を行う場合を想定してみましょう。
 騎士のキャラクターが前に出て、こう言ったとします。

「君、か弱い女の子を人質に取るとは、恥ずかしいと思わないのかね。
 それよりも、私が人質になろう。こう見えても私は騎士の出身、身代金は私の方が多く取れるだろう。
 当然、私は武器も持たないし、この鎧も脱ごう。だから、その人質と私を交換したまえ」

 マスターもプレイヤーも、この台詞は非常に良い物だと考え、マスターは騎士交渉技能に非常に高いボーナスを与え、ルールに則って判定をさせました。

 ところが、騎士のプレイヤーはダイス目が悪く、なんと判定に失敗してしまいます。
 ルールに則ると、この説得は失敗でしたが、プレイヤー達は収まりがつかず、マスターを糾弾します。マスターも、この交渉は明らかに成功するはずだと考え、ルールを無視する決心をし、騎士の行った交渉は成功、と判断しました。

 どうでしょう、いかにもありそうな状況だと思いませんか?
 一般的には、ゲームを面白く、エキサイティングにするには多少のルールの無視/変更は許されるという意見が有力ですから、このマスターの判断は誤っていません。

 しかし、キャラクターを表すルールであるはずの第3世代TRPGに、何故、このようなロールプレイによっては無意味になる判定があるのでしょうか?
 逆に、ルールに従った上で、納得できるルールの使用法、というのは無いのでしょうか?

 そこで、こう考えてはどうでしょうか。
 騎士は、確かにプレイヤーが言った事と同じ事を頭の中で考え、いざ言おうとしました。
 しかし(判定失敗)、緊張のあまり騎士の声は裏返り、犯人に警戒感を抱かせてしまったのです。
 あるいは、その台詞を言おうと一歩を踏み出した瞬間、それが犯人を刺激してしまい、犯人に聞く耳を持たなくさせてしまったのです。
 もしくは、最初の「恥ずかしくないのかね」という台詞を、彼が騎士であるが故に侮蔑的に言ってしまい、犯人を逆上させてしまったのです。

 どうでしょう、こう考えれば、交渉の失敗もうなづけるのではないでしょうか?

 今やTRPGのルールはキャラクターを表現する物へと変化しました。そのなかで交渉という要素がある以上、その要素もキャラクターを表現する物のはずです。
 プレイヤーが素晴らしい台詞を考えたとしても、それを上手く活用できないのが交渉能力の低いキャラクターなのではないでしょうか?

 それを考えると、「交渉能力に力を割り振らないキャラクター」という物はおいそれと作れなくなってしまいますね。
 しかし、交渉能力とは、こう考えてみるのが妥当なのかも知れません...

如月翔也

目次へ戻る

26.TRPGにおける「神」の存在

 昨今のファンタジーTRPGでは、背景となる世界の要素の一つとして、の存在が規定されている物が大半です。
 そして、そのの設定の多くは唯一神ではなく、多神教であるとされている事が多いようです。

 ですが、ここで現代人である我々にはちょっとおかしいな?と思うような背景設定があります。

 それは、多くの神があり、それぞれに多くの信徒を持っている割には、宗教同士の深刻な対立という要素が欠けている、という部分です。

 現実世界の歴史を振り返ると、宗教が違うという事はすなわち相手は邪教徒であるという事であり、宗教という全人類の幸福を求める者(宗教者・信徒)同士が血で血を洗う深刻な対立状態を長く続けてきた、という事は悲しくも歴然とした事実なのです。

 では、何故、ファンタジーTRPGでは信仰する神同士で深刻な対立が起きないのでしょうか?

 私が思うに、それは絶対神ではなく、人格神である、という理由からではないか、と思います。

 TRPGにおけるの扱いのほとんどは、中世ヨーロッパ大陸で一般的であった絶対神(全知全能の神)とは異なり、むしろ古代ギリシア・ローマの神話である人格神(人間に近い感情を持った「強力な」「人間以上の」存在)である為ではないか、と思うのです。

 なにせ、絶対神の存在する世界は基本的に完璧な物であり、の関与しない超常現象は(裏の存在である悪魔の存在なしには)存在し得ないのです。
 そして、全てはの望んだ事ですから、は余程の事がない限りは現世に奇蹟を起こす事はありません(というよりも、もとから奇蹟が必要になるような状況を「起こさない」事ができる存在なのです)。

 これは、魔法怪物の実在するファンタジー世界には決して相容れない 考え方なんですね。

 しかし、人格神である場合はこれと異なります。
 といえどもどうにもならない事は存在しますし、間違いも起こします。
 1人の神が絶対ではありませんから、は競って奇蹟を起こし、自分の存在をアピールするのです。

 こちらの考え方だと、実にTRPGに向いている設定なんですね。
 絶対神の神官とは「生き方」の問題になるのに対して、人格神の神官はあくまで「神の奇蹟を起こせる(神に奇蹟を起こして貰える)」という存在なのですから。

 それを肯定するかのように、多くのTRPGでは一つの神話によって誕生した多神教(これは、人格神的な多神教の典型例です)という形での存在が定義されています。

 そういった事を考えると、TRPGでは多くの神が並び立っているにも関わらず、深刻な対立が起きない、というのもうなづけるかも知れませんね。

如月翔也

目次へ戻る

27.「神官」が冒険に出る理由

 さて、今度は信徒であり、あるいは代理人でもある「神官」について考えてみましょう。

 神官とは、言うまでもなく聖職者階級に属する人間です。
 特にの影響力が強く、人々も敬虔である中世の世界では、非常に強い力を持った人々です。
 彼らは信徒からの寄付だけで充分に生きて行けますし、祭り事を取り仕切る事で人々に必要とされる存在なのです。

 しかし、ファンタジーTRPGの冒険者パーティを見ると、そのほとんどには神官がいます。
 生きて行けるだけの糧があり、人々にも必要とされる聖職者が、何故、冒険などという危険な事に首を突っ込むのでしょうか?
 聖職者ともあろう者が、金銭危険に魅力を感じて、冒険などという愚挙に出ているのでしょうか?

 そうとは考えづらいですね。
 中には金銭危険に取り憑かれている破戒僧とでも言うべき神官も存在するでしょうが、ほとんどの神官は、個人的な信仰心によって、冒険という修行を行っているのでしょう。

 多神教の世界では、多数存在しますから、基本的には信者の取り合いが起きます。
 そう、熱心な神官は、自分の信じる神の為、違う神を信じる人の為に、自分の信じる神こそが最も信仰に値するという事を説いて回る事を望むのです。
 しかし、規則と時間に縛られてしまう神殿付きの神官はそういう訳にも行きません。

 また、神の力が実在する世界であり、しかしながら神の力を引き出す事には限りがある世界ですから、無限に神の力を与える訳にも行かず、結果としてなんらかと引き替えに奇跡を起こす事が当然という状態になっています。
 ですから、神官個人無償で奇蹟を与えたいと思っていても、それは神殿では許されない事なのです。

 この2つの理由が、主に神官冒険に駆り立てるのでしょう。
 冒険中の神官は、修行中という扱いであり、神殿には縛られませんから、個人的な布教活動は自由に行えますし、無償で奇蹟を起こす事も許されるのです。

 そして、冒険によって神官自体も鍛えられ、よりとの結びつきが深まるチャンスが多いのです。
 あるいは、冒険で得た収入貧しい者に分け与える事も自由に出来ますし、収入を蓄える事で、いつかへんぴな地方に神殿を建てる事ができるかも知れないのです。
 これは、あらゆる聖職者にとって魅力的な考えだと言えるでしょう。
 こうして、神官冒険に出る事を決めるのではないでしょうか。

 信仰心以外を捨てた神官であっても、いえ、むしろそうであるからこそ、神官にとって冒険という物は魅力的なのかも知れませんね。

如月翔也

目次へ戻る

28.ダイスが使われる理由

 ちょっと文学的な(?)話題が続きましたので、今度は数学的な話題をしてみましょう。

 TRPGで使う物品としては筆記用具と紙に続いて有名な物、と言えば、それはダイス以外にないでしょう。
 ダイスランダマイザー(乱数発生器:乱数とは無作為に決めた数字の事です)として一般的に用いられますが、これには理由があるのです。

 無作為に数字を決める方法としては、ダイスを振る他に、カードをシャッフルして好きな場所から引くという方法等があります。
 では、何故、簡単に手に入るトランプを使わずに、購入するのに手間がかかるダイスを使うのでしょうか?

 それは、使いやすさ確率の分布の為なのです。

 例えば、1から8の数字が欲しい時、ダイスであれば8面体ダイスを使えば事足ります。
 しかし、カードの場合は1から8のカードだけを抜き出して、シャッフルして、引かなければならないのです。
 これは、何度も使うのであれば大変面倒臭いですよね。

 しかも、カードは毎回引いたカードを戻してシャッフルしなおさなければならないのです。
 そうしないで「引いたカード」はそのままにすると、次にカードを引く時の確率に偏りが出てしまうので、無作為に決めた数字ではなくなってしまい、ちょっと困った事になります。
(最後の1枚のカードは、何がでるのかわかってしまいますよね?)

 実際にゲームをするのであれば、毎回カードを戻してシャッフルしなおす、という方法を取っていると、ゲームにならないと言った事態に陥ってしまうので、カードを使う、という方法は忌避されるのが一般的なんですね。

 そういった理由で、TRPGではダイスを使うのが一般的なのです。

 こう言った事を知っていると、TRPGでダイスを振る時の気分がちょっと変わって、新鮮な気持ちになれるのではないでしょうか...?

如月翔也

目次へ戻る

29.「生きた」キャラクターを演じる

 さて、問題です。
 TRPGの世代(ジェネレーション)を問わず、TRPGで求められている物とは、なんでしょう?

 答えは、「生きた」キャラクターを演じる、という事です。

 シミュレーションゲームの発展としてのTRPG、世界を表現する為のツールとしてのTRPG、あるいは1人のキャラクターを表現する手段としてのTRPGという、3つの世代のTRPGの中でも、キャラクターというインターフェイス、あるいはプレイヤーの分身という存在は必ず存在する要素です。
 この、必ず存在する要素という物が、重要でないはずがありませんよね。

 そして、ゲームの駒としても、インターフェイスとしても、あるいは分身としても、TRPGを魅力的にしているのは「生きた」キャラクターなのです。

 キャラクターは、TRPGが表現している幻想世界(あるいは仮想現実)の中で、一つの命と一つの人格を持った存在として、「生きて」います。
 この「生きた」キャラクターを表現する、あるいは実現すると言う事は、TRPGにおいて絶対に必要な事として求められる事なのです。

 これは、考えてみれば当然の事かも知れません。
 TRPGとは、幻想世界(あるいは仮想現実)に根ざして遊ぶゲームです。
 つまり、大前提として、提供される幻想世界がリアルでないと、プレイヤー/マスターの想像力をリアルにかき立てる事ができないのです。
 そして、リアルな人間の生きていない世界など、リアルであるはずがないのです。

 もちろん、「生きた」キャラクターさえ存在できれば面白いTRPGかといえば、答えは「否」なのですが、「生きた」キャラクターの存在しないTRPGは面白くないか、TRPGではないかのどちらになってしまいます。

 そう、キャラクターは幻想世界で事実として生きているのですから、我々現実世界で生きているのと同じだけの存在のリアルさを持っているべきなのです。

 貴方の使うキャラクターは、その世界にリアルに存在していますか...?
 貴方のいない時にでもちゃんと生きて行けますか?

 貴方がいなくても生きて行けるキャラクター、そんなキャラクターとの付き合いは、とても楽しい物ですよ。

如月翔也

目次へ戻る

30.中世の「旅」

 現代は「情報社会」であると共に、「交通社会」でもあります。
 人々はちょっとした暇を見つけては小旅行をしたり、連休を利用して大がかりな旅行をしたり、あるいは車を使って「ちょっと遠出」などという、「旅」を楽しみます。

 現在では「旅」(あるいは旅行)という物は趣味の一つであったり、あるいは心と体のリフレッシュ手段の一つであったりします。
 しかし、現在と中世では事情も異なります。
 今回は、中世における「旅」について、ちょっとした知識などをあげてみようかと思います。

 コラム18でも取り上げたように、中世の人々というのは、成人人口のおよそ9割までが第1次・第2次生産者でした。
 そして、生産者というのは地域に密着した存在であり、農作物などを作る事は1年がかりの仕事ですから、自分の住む地方を離れる事など、考える事もできないのです。

 ですから、ほとんどの人々は「旅」という物をしませんでしたし、それをする者というのは商人の様な交易関係の人間か、あるいは巡礼者の様な余程の理由のある者だけでした。

 しかも、地方をつなぐ街道はほとんど整備などされていませんでしたし、を離れると、そこは無法地帯危険地帯に他なりませんでした。
 そう、現代と違って、中世での「旅」と言う物は、言葉通りに命懸けの物だったのです。

 逆に、「旅」という物が一般的ではなく、危険だからこそ「旅」をする者もいました。
 それは、交易商人です。
 彼らは情報や物品の交流が少ないという事に注目し、「数の少ない物は高く売れる、数の多い者は安く買える」という原則を利用して、「ある地方で安く買った物を違う地方で高く売る」という、実に商魂逞しい人々でした。
 しかし、「旅」をするという事は様々な危険と遭遇するという可能性の高い物であり、どちらかというとギャンブラー、あるいは山師のような存在だったという事です。

 中世では、「旅」という物の感覚が、現在とはかなり異なったという事がよくわかりますね。

 この感覚は、幻想世界に住むPC達も変わらないのではないでしょうか。

 未熟な冒険者のパーティがはじめての旅を目前にして必要以上に緊張したり、あるいははじめて見る異国の風景に心を奪われる、というシーンなどはとてもリアリティがありますし、そんなちょっとした違いをロールプレイするのも面白いかも知れませんね。

如月翔也

目次へ戻る


Column 11-20 Bad Trip Column 31-40
Back To Top