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【Diary】:不定期日記 2001/02
如月翔也の馬鹿日記。
あくまで【不定期】なので、長期更新ナシでも許して下さいね。

2月のカレンダー
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人生最悪期間記録

 やぁ、お久しぶり。1ヶ月ぶりか、もしくはそれ以上のお久しぶりだね。
 男、如月翔也、この1ヶ月程の間、仕事もHP更新もしないで実家に詰まっていたんだ。

 当然、仕事は辞めて、収入はナシ。
 別に、人生に嫌気がさした訳でもないし、やる気がなかった訳でもないんだけどね。
 いや、まあ、確かに仕事に嫌気はさしていたんだけどね。

 それはいいとして。
 みなさんには1ヶ月も待ちぼうけを喰わせてしまって、本当に申し訳ない。
 そのお詫びといってはなんだけれども、せめて、何故、1ヶ月もサボっていたのかについて、その理由についてご説明致しましょう...


 事の発端は...いつだったかなぁ...
 たぶん、2000年12月27日か、あるいは2001年1月26日か、そのどちらかが発端になるんじゃないのかな。

 まずは、2000年12月27日。
 仕事納めの前日に「椎間板ヘルニア」(ぎっくり腰とはちょっと違うよ)になったのがケチのつき始めさ。
 楽しみにしてた正月セッションは不参加、寝正月を送ってた訳さ。
 ついでに腰をヤった日も悪くて、普通の病院は全部お休み。結局、正月中に緊急病院に行ったっきりみたいな感じで、腰に負担が残ったまま働いていたんだよね。
 俺的にはここが事の発端になるんだけど、実際の事件はまだまだ後の事さ。


 さてはて。
 実際の事件が起きるのは、2001年の1月も終わりを迎えようとしている26日の事。
 新しいHP(歳月堂ね)を作って大喜びの俺は、仕事を終えた後、いつも通りにヘッポコCGを描いていた訳さ。
 さて、CGとjavaスクリプト、そしてhtmlを書き終わって、いざアップロードしようとした瞬間、電話が呼び出しを告げた。
 大体、午後10時30分くらいの事かな...

 電話の主は俺の母親で、「祖父が亡くなった」との事だったんだ。
 俺は自慢じゃ無いけど、「身内コンプレックス」だ。
 特に、俺は祖父を凄く大事に思っていて、俺が介護福祉士を目指したというのも、シーグレン症候群という難病と、アルツハイマー型痴呆を患っている祖父を、この手で介護したかったから、という程のジジコンっぷりだった。

 その祖父が亡くなった。
 しかも、唐突に。
 俺自身人の生き死にに関わる仕事だし、そういう事はいつでも覚悟していてしかるべきだったんだけれど...少なくとも、祖父が死ぬという兆候は全く見えなかった。
 実際、突然死に近い状況で無くなっているんで、兆候がないのは当たり前なんだが。

 頭の中が一瞬真っ白になったものの、「明日はお通夜で、あさってに葬式をする」という母の言葉に我に返り、「すぐに手配をして祖父の家に向かう」と告げて電話を切った。

 そこからが長かった。
 俺の上司は婦長で、ついでに副施設長でもあるオバサンだ。
 いわゆる、管理職っていう奴だ。
 だから、普通、こういう場合はそのオバサンに電話をすれば万事OKな訳だ。
 人を管理する為の管理職だし、その為に俺の月給の何倍もの「管理職手当」を貰っているのだから。

 早速、婦長に電話をすると、思いもよらない言葉が返ってきた。
 「明日は人数が少ないから...自分で、代わりに出勤してくれる人を捜しなさい」

 絶望。
 管理職の仕事とは、人の管理ではないのだろうか?
 これならば、「明日は出勤しなさい」と言われた方がまだ納得が行く。
 勤務シフトをつけるのは婦長の役目なのだから、人数が少ないのは婦長の責任ではないのか?
 そもそも、法で規定された人数以下の人数しか職員がいないのが問題でもある。
 その上で使えない人間ばかり集めたのも、婦長の責任だ。何せ、採用は婦長が決めるのだから。
 この時点で、俺はこの職場に見限りをつけた。

 それから知り合いのつてを探して2時間。それは致命的な時間のロスだった。
 半ば無理矢理に勤務を変わってもらい、車を飛ばして札幌の祖父の家へ。
 祖父は、すでに冷たくなっていた。


 ここまでなら、全く「最悪」ではない。良くはないが、まあまああり得ると言える。
 だが、その後が最悪だった。

 祖父の葬式を終えた後、祖父の家に親戚が集まって祖父を偲んでいる時に、それは起きた。

 母が、倒れたのだ。
 救急車を呼び、父と俺の二人が同乗した。
 取り乱す父を諫めつつ、母の手を握る。
 母は救急車の中で冷えていき...ついには、俺の手の中でその鼓動が止まった。

 それから1〜2分だろうか?俺の中では永遠に近い時間が流れた。
 鼓動が止まった事を父には告げる事ができず、ただ「大丈夫、まだ大丈夫だよ」と繰り返すうちに、救急車は緊急病院にたどりついた。

 やはり、母の鼓動は止まっていた。
 医者から病院に到着した時点で心肺停止状態にあった事が説明され、そして母はとても重篤な状態にある事が説明された。
 その段階で薬の投与により心臓機能は復活したものの、脳に対するダメージはかなり深刻な物である可能性が高く、生存確率は五分五分だという。

 そして、脳に対するダメージを軽減する為に、医者は「低温療法」という選択を切り出した。
 身体を34度程度に下げる事で脳に対するダメージの拡大を防ぐのだという。
 その代わりとして、ほぼ確実に肺炎になるというリスクがあり、その上、低温療法の効果はいまだ実証されてはいないのだという。
 その上で、低温療法をしても脳が死んでいれば脳死になるし、助かったとしても重度の障害が残る可能性が大きくあるのだという...

 しかし、俺と父、そして後から駆けつけた姉の3人は、結局「低温療法」をしてもらう事にした。
 3人とも、命さえ助かればいいという意見は一致したのだが、それ以上に、母は何を望むかを考えたのだ。
 母にはなついている犬がおり、母を慕う数多くの人々がいる。
 気丈で人なつこい母ならば、絶対に、植物人間になるよりも、少しでも良くなってコミュニケーションが取れるようになる事を望むはずなのだ。

 そして、低温療法が実施された。
 ICUの中で様々な管につながれた母は、まるで機械の一部であるかのようだった。
 冷え切った体温。人工呼吸器による呼吸。ただそこに「存在」しているだけの存在...


 更に最悪は続いた。
 人生の伴侶であった祖父を亡くし、そしてその葬式の日に義理の娘に当たる母が倒れたというショックから、祖母までもが重度の貧血を起こしたのだ。
 たった1週間で起こった事とは思えない出来事の連続だった。
 祖母自体は緊急入院が必要なレベルではなく、毎日の通院と静養で納められるレベルであると診断されたものの、もはや何もできないも同様だ。

 俺の家系で、自由に動く事のできる人間は、俺と父、そして嫁に行った姉の3人だけになってしまったのだ。
 祖父の死に関連する保険金の申請や祖母の年金の独立、あるいは母に対する付き添いや家庭の世話など、その全てを片手間にするのは明らかに不可能だった。

 そして、俺は決断した。
 父は今の会社に30年以上も勤め、それなりの重職にある。会社を辞める訳にはいかない。
 姉は嫁に出た存在であり、俺の家系に何かがあっても「実家に戻る」という事はできない。

 ...俺しか、いなかった。

 そして、俺は仕事を辞め、家庭に入った。
 今流行の「主夫」という奴だ。

 それでも、一人でするにはつらい事が多かった。
 今の仕事を辞する事。千歳からの引っ越し。祖父/祖母関係の手続き。母の付き添い。家庭の世話。

 普段であれば、絶対にやらないような事のオンパレードだ。
 そして、俺は全てを捨てて家庭に尽くした...


最悪期間終了

 まあ、そんな訳でパソコンいじるどころの騒ぎではありませんでした...
 そんな訳で、ここしばらくの更新が無かった事に関してはご勘弁願いたいです。

 で、最悪期間についてなのですが...

 なんとか、しのぎました。
 病院のみなさんの献身的な医療・介護の甲斐あって、母は医者からも看護婦からも「奇跡だ」と言われるほどの回復を果たし、なんと3月2日に退院いたしました。

 当初懸念されていた脳に対するダメージや後遺症、障害などは全くなく、ほぼ入院前の状態に回復しております。

 いやぁ、良かった、良かった。

 さてと、次は俺の就職が問題だな...(苦笑)


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