【d-tribe】【メイン:コラム】 >【「神官」が冒険に出る理由】
【Prev】 【Next】



027.「神官」が冒険に出る理由

 さて、今度は神の信徒であり、あるいは代理人でもある「神官」について考えてみましょう。

 神官とは、言うまでもなく聖職者階級に属する人間です。
 特に神の影響力が強く、人々も敬虔である中世の世界では、非常に強い力を持った人々です。
 彼らは信徒からの寄付だけで充分に生きて行けますし、「祭り事を取り仕切る事」を求め、世界中の人々に必要とされる存在なのです。

 しかし、ファンタジーTRPGの冒険者パーティを見ると、そのほとんどには神官がいます。
 生きて行けるだけの糧があり、人々にも必要とされる聖職者が、何故、冒険などという危険な事に首を突っ込むのでしょうか?
 聖職者ともあろう者が、金銭や危険に魅力を感じて、冒険などという愚挙に出ているのでしょうか?

 ちょっと、そうとは考えづらいですよね。
 中には金銭や危険に取り憑かれている破戒僧とでも言うべき神官も存在するでしょうが、ほとんどの神官は、個人的な信仰心によって、冒険という修行を行っているのはないでしょうか。

 多神教の世界では、神は多数存在しますから、信者の取り合いが発生するのはある意味当然ではないかと思います。
 現実世界を見ても同じですが、熱心な神官は、自分の信じる神の為、自分の信じる神こそが最も信仰に値するという事を説いて回り、信者を獲得する事を望むでしょう。
 しかし、規則と時間に縛られてしまう神殿付きの神官はそういう訳にも行かないのが実情でしょう。

 また、神の力が実在する世界であり、しかしながら神の力を引き出す事には限りがある世界ですから、無限に神の力を与える訳にも行かず、結果としてなんらかと引き替えに奇跡を起こす事が当然という状態になるでしょう。
 そうなってしまうと、神官個人が無償で奇蹟を与えたいと思っていても、規則で縛られてしまう神殿では、それは許されない事となってしまいます。

 この2つの理由が、主に神官を冒険に駆り立てるのでしょう。
 冒険中の神官は、修行中という扱いであり、神殿には縛られませんから、個人的な布教活動は自由に行えますし、無償で奇蹟を起こす事も許されます。

 そして、冒険によって神官自体も鍛えられ、より神との結びつきが深まるチャンスが多いのです。
 あるいは、冒険で得た収入を貧しい者に分け与える事も自由に出来ますし、収入を蓄える事で、いつかへんぴな地方に神殿を建てる事ができるかも知れないのです。
 これは、あらゆる聖職者にとって魅力的な考えだと言えるでしょう。
 こうして、神官は冒険に出る事を決めるのではないでしょうか。

 信仰心以外を捨てた神官であっても、いえ、むしろそうであるからこそ、神官にとって冒険という物は魅力的なのかも知れませんね。


【Prev】 【Next】
【d-tribe】【メイン:コラム】 >【「神官」が冒険に出る理由】